Be A Dancer ダンサーであれ


音楽を身体で表現することがダンスとして定義されるのならば、ダンサーにとっての身体は楽器みたいなもの。

優れたダンサーは自らの身体を駆使し、様々な音楽表現を繰り出す。さながらオーケストラのように幾重にも重なる重厚な表現も、ジャズシンガーの、枯れた渋い歌声の様なメランコリックな表現も、全て自らの身体を用いて紡ぎ出す。音楽の無い、静寂の中ですら、ひとたび踊り出せば、その五体を通して我々はそこに音楽を感じ取ることが出来る。



いいダンサーの条件を問われれば、答えは沢山あるのかもしれないが、私は「表現したい何かがあるダンサー」と答える。何かとは音であったり、想いであったり、イメージであったりするのだが、この何かが無ければ、ダンスは只の運動になってしまう。技術がいくら優れていようとも、身体能力が如何に高かろうとも、表現したい何かが無ければ、それらはあまり意味を為さない。もちろん技術は絶対に必要である。身体能力も高い方がいい。しかし順番を間違えてはいけない。「表現したい何かを表現する為に、技術を磨き、身体能力を高める。」ということを。



現役時代、コンペに追われ、レッスンに追われていると、どうしても目の前の技術にばかり焦点がいってしまう。先生も技術を教えるし、選手も教わった技術をしっかりと試合に活かそうとする。技術だって、意識しなきゃ出来ない技術は、本番では役には立たない。無意識でも出来るようになって初めて、自分の技術として身につくもの。


ビッグコンペ直前に海外へ留学し、色んな先生にレッスンを受ける。頭と身体の整理がつかないまま、コンペ本番を迎える。緊張感も相まって、自分達の踊りを見失う。もちろん成績も奮わないが、皆もそうだからと無理に納得して、帰国の途へ着く。技術に追われ、何を表現したかったのか見失ってしまうのだ。このパターンから勇気を持って脱しない限り、ダンサーとしての質を高めていくことは中々難しいのではないだろうか。



スタンダードもラテンも表現したい何かがあるダンサーは光ってみえる。ノっている。気合いが入っている。目が活き活きしている。言い方は様々だが、上手い下手は置いておいて、そういったダンスは会場のどこで踊っていても目に飛び込んで来る。もちろんそこに確かなクオリティが無ければやはり上のラウンドには行けないが、目にも止まらず落ちるよりは、よほど未来を感じさせてくれる。



どんなレベルのダンサーにも言えることだが、初心者だろうと、キッズだろうと、シニアだろうと、自分がダンサーだという自覚を持つことから始めてみると良いと思う。そうすればより音楽に注意深くなり、背筋も伸び、目に力が宿るはず。更にそこからもう一歩踏み込んで、自分達はどういったダンサーなのか、何を表現したくて踊っているのか、もっと掘り下げて、話し合って、時には喧嘩して、悩んでみてはどうだろう。


ダンスを通じて、その生き様を見せてくれる様なダンサーがこれから増えてくれると本当に嬉しい。