エッセイ 「翼」

*こちらの原稿は、「DANCE WITH ME」と題して、航空自衛隊連合幹部会機関誌「翼」に寄稿したものです。


 広島に生まれた私は幼少の頃から軍艦や飛行機好きの父に連れられて、岩国の米軍基地や江田島の海軍兵学校など幾度となく訪れた思い出がある。基地内に一歩足を踏み入れると感じる緊張感や、資料館で読む戦時中の兵士の手紙など、今でも強く印象に残っている。

 今回、光栄にもこの機関紙「翼」に寄稿させていただける事になり、父に話をしたところ大いに喜んでもらえたのだから、有難い親孝行である。


 さて、私はボールルームダンスのプロフェッショナルという、皆さんにはあまり耳慣れない職業を生業としている。いわゆるダンサーの一種なのだが、競技会というものがあり、その競技会にもプロ、アマと区分がされており、プロ部門において優秀な成績をおさめると賞金がもらえ、全日本戦や世界戦などもある、非常にニッチとも言える世界に住んでいる。普段はダンススクールに勤務し、上は80歳のおばあちゃんから、下はキッズクラスの子供達まで教えており、週末になると、競技会に出場したり、日本各地のイベントやパーティーに招待され、パフォーマンスをしたりしている。競技会は日本国内だけにとどまらず、世界中で開催されており、トップ選手にもなると世界3大大会を始め、世界中を転戦する為、年間の半分は海外での生活になる。国内における大会も全日本クラスの試合は武道館や幕張メッセなどの大きな会場で開催され、愛好家やファンが応援に詰め掛け、中々の盛況を博している。


 私は大学進学を機に上京し、そこで初めてダンスというものに出会った。それまではダンスのダの字にも縁が無かったのだが、私の入学した東京外国語大学には競技ダンス部というものがあり、1998年当時は学校で一番部員の多い部活だったと記憶している。新歓の楽しい雰囲気と煌びやかな世界に惹かれ入った競技ダンス部だったが、次第にダンスの面白さや競技会における勝ち負けの機微を知り、大学生活はダンス一色になっていく。3年生の時に冬の全日本戦で優勝し、プロになる事を決意、すぐさま大学に休学届を出し、当時通っていた渋谷のクワバラダンススクールに見習いとして入社する運びとなった。ダンスの楽しさ、奥深さを知るにつけてますます傾倒してゆき、半年後には正式にプロになる為の試験(ノービス戦という試合)に出場し、プロフェッショナルの仲間入りを果たす。


 ただ好きな事をして食べているという幸せに勝るものはなく、どんなに忙しくても、寝不足が続いても毎日練習だけは欠かさなかった。しかしながら私達のボールルームダンスというものは男女がペアになって踊るので、当然練習もパートナーと共にするのだが、これが中々難しく、特に成績が伸び悩んでいる時など、喧嘩ばかりで一向に練習は捗らず、踊る事すら楽しくなくなって来る。プロになって4年目、A級昇級を目前に壁にぶち当たり、伸び悩んでいた状況を変えたのがドイツ留学だった。海外のトップ選手達と共に切磋琢磨する環境に身を置き、一流のレッスンを受ける事で自分達の中で何かが変わった。帰国してすぐの全日本戦で、並み居る強豪を押し退け準決勝に進出する事が出来た。先入観の無い外国人審査員による審査だったのも幸いしたのかもしれない。その後、直ぐに全日本戦でも決勝メンバーの常連となり、日本のトップダンサーの仲間入りをするのだが、やはり立場が人を作るというのか、トップ選手として戦う主戦場が日本から世界に変わるにつれ、日本を背負って戦っているという意識を持つようになるのである。特に日本のトップ2組のみ代表として派遣される世界選手権に於いては、否が応でも日の丸を背負って戦っているという意識が芽生える。自分の成績が後に続く日本の他の選手の基準になるのだから生半可な踊りは出来ない。死ぬ気で踊って来たように思う。成績が悪い時など、帰国したくなく、空港で飛行機に乗ろうか、このままどこか消えてしまおうかと悩んだりもした。


 そんな思いで戦って来たものだから日の丸や国家に対して、私達トップアスリートは非常に思い入れがある。この世界の舞台で日の丸を掲げて日本の国家を流したいと思い戦って来た。2015年ロシアで行われた世界ショーダンス選手権に於いて第3位に入賞し、表彰台の上から見た日の丸は一生忘れない格別なものであった。日本国内でも国歌や国旗に対する国民の意識の格差における所々の問題が取りだたされたりする事があるが、日本を代表して戦っている立場からすれば、自分の国を誇れなくてどうするのかと、甚だ疑問に思う。

 また日本のトップとして世界と戦い続けて来た傍ら、私は選手会の会長も兼任して来た。時期悪く、ダンス業界が分裂の危機を迎えている状況下にあり、選手の出場規制や禁止試合への出場選手への懲罰問題など、非常に難しい問題を多く抱えながら、選手の立場を守るべく、組織の大御所達と丁々発止やり合って来た。最後まで分かり合えない人もいたが、やはり皆ダンスが好きで集まっている人間なのか、とことん話していけば妥協点は見つかるもので、現在では少しずついい方向に進んでいるように感じる。少子高齢化の影響もあり、縮小傾向にある我々の業界に於いて、なんとか皆で力を合わせて再びダンスブームを再興していきたいと願う。


 私は昨年の6月に15年間のプロ競技生活からの引退を表明し、現在は競技の第一線からは一歩下がっている。選手会の役職も満期を迎え、今まで中々作ることが出来なかった自分の時間が作れるようになった。今は朝1人で鏡に向かってシャドー練習しているこの時間が無上の喜びである。競技は引退したとしても、ダンスを勉強していく事は一生かけて歩いていく道であろう。今後は後進の育成にも注力しつつ、活躍の場を舞台や、ショーイベントの方に移していくことになると思う。現在はダンス振興に向けた様々なプロジェクトが立ち上がり、ボールルームダンスの舞台であったり、漫画やアニメであったり、また街中で突然踊り始めるフラッシュモブであったりと、一般の人が私達のダンスを目にする機会が、徐々に増えて来たように思う。機会があれば是非自衛官の皆様ともダンスを通じた交流が出来ればと切に願う次第である。


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